やっとここまで来ました。一年がこんなに長いなんて・・・
第1章 「うつ病は心の風邪」〜いつ、誰が罹ってもおかしくない!〜 | 第2章 もう仕事に行けない…!「うつ病復帰」から地獄の闘いへ | 第3章 うつ復帰からの地獄の闘い 〜その後の話〜 | 第4章 うつ復帰からの地獄の闘い〜とりあえずの完結編〜 | 第5章 うつ病からの生還 〜その後の話〜
“あの”やり取りの中、係長は神妙な顔でずっと下を向いたままで、最後には素直に謝罪してくれた・・・しかしタチが悪いのが課長のほう。「絶対非を認めないぞ! だ〜って俺が言ったんじゃないんだも〜ん、こんな小娘に謝ってたまるか!」という責任逃れと年齢・性別で人を小ばかにする態度がありありと感じられる・・・謝罪の言葉だってうわべだけのものに違いない。やっぱり課長としては不適格な人材だな、と心の中で私は“奴”の人間性を測っていました。
あと3ヶ月、仕事をして生活していくのは、今の状態では辛い。人事は「休んでも異動させる」と言ってくれたけど、私には担当地区館の講座が待っていました。地区館との信頼関係は大切にしたいから、私は休みたくない。そこで、私は1月からもなるべく休まず働き続けるために「先手を打たなければ」と思い、御用始めの日に(月曜日だったので幸いなことに私の職場は休みだった)人事係長に相談に行きました。そして、年末の12月28日の出来事を事細かに話し、そこでまた「普通の人ならともかく・・・」と差別的発言をされたことを訴えました。
人事係長は忙しい中でも私の話を丁寧に聞いてくださり、「また何かあったら相談に来てくださいね」とまで言ってくださいました・・・。
しかし、いくらうわべだけの謝罪の言葉を勝ち取っても、せっかくの人事係長の励ましにも、日々脅かされている私の心は癒されるはずもなく、そのうち、拒食に陥りました。始めのうちは「胃がもたれる・・・」などと言いつつも無理して食べていたのですが、そのうち何もかも受け付けなくなりました。朝ご飯を食べると気持ち悪くて仕事にならず、昼食もスープのみ、夜は食べる気力もなく疲れ果ててダウンしてしまう、というありさま。体重は1ヶ月で5キロ減り、それでも「体が軽くなって動きやすいし、お腹はペッタンコになって嬉しい」と思った私は立派な「摂食障害」になっていたのかも知れません。日々痩せていく自分を鏡で見て快感に浸る毎日です。
そうして“物理的には”体は軽くなったはずなのに、職場に行くと体が重くて仕方がない・・・昼休みは机に突っ伏したまま何も出来ない・・・人目につかないようにロッカールームで密かに倒れていると、よからぬ考えがむくむくと頭の中を支配し始めます。
「あの薬、もう飲まなくなって余ってるよね、あれを一度に飲んだらどうなる?」死ねないことくらいじゅうぶん分かっているのに、ODという“自傷行為”は止めることが出来ませんでした。自分を痛めつけたくてどうしようもない・・・でもそれはいけないこと・・・だけど冷静になんてなれないよ・・・どうしたらいいって言うのよ〜!!
心がよじれるような、胸がムカムカするような感覚を覚え、胸をかきむしり、やはり行き着く先は自分を傷つけて落ち着く、という方法しかとることが出来なくて・・・自己嫌悪でまた自分を痛めつけたくなる。悪循環の泥沼にはまっていました。
それでも私の中に少しずつ変化が現れました。係長と会話ができるようになったのです。係長は乱暴な物言いではあるけれど、サバサバした性格で「悪いけど、これやってくれないかなぁ?」と仕事を任せてくれるのです。“あの時”は、ちょっと口が滑っただけなのです(でも根底には精神病院を差別する気持ちがあったからついポロッと出てしまったのでしょうが・・・)。少しずつ、すっかりそがれた「やる気」を取り戻していくような気がしました。
みんなは相変わらずバラバラに動いていて、私も「意味のない、時間の無駄遣いの会議なんか出たくない」と反発し「急な事務連絡が入ったので先に会議始めててください」と言い残して公用車で飛び出す日々(いや、本当に突発的な仕事はあったのですよ、みんながバラバラのおかげで)。車を運転している間は気分がよく、何かといえば「本庁に行ってきま〜す」と言って公用車で出かけていきました。
自分のしたいように仕事ができるようになって、嬉しかった・・・何も遠慮することないんだ、「私は急ぎの仕事があるんです」と言えば誰も文句を言わない。私の仕事内容なんか誰も分からないんだから。
しかし、時にはどうしても体が動かない日がありました。いつも何事もなくこなしている仕事が、出来ない。いつもなら「行ってきまーす」と出かけていくのに出かけることが出来ない・・・すぐ隣の銀行にすら行くことができない。車を運転することも出来そうにない・・・そう感じる日があり、そんな日は「自分は役立たずだ・・・」と思いドーッと落ち込んでしまうのです。
2月7日の午後。嘱託職員が倒れた! 嘔吐したらしく私が駆けつけた時にはほとんど片付けられていたが異臭がしている。彼は、普段誰も行かない4階のトイレで倒れたらしい・・・たまたま体育館の利用者に見つけられたのがよかった。・・・ああ、どうして早く気付いてあげられなかったのだろう? 寒かっただろうに・・・こんな冷たい床の上に横たわっていただなんて・・・。
とにかく救急車を呼んでもらい、私はエレベーターの確保、そして救急隊の案内。彼はかかりつけの病院に運ばれて、まずはひと安心・・・そのまま2月いっぱい休むことに。高齢だし持病もあるから心配。「お願い、必ず元気で戻って来て・・・」救急隊を案内し終わった後、私の顔から血の気がザーッと引いていくのが分かり、とにかく「死なないで!」と願うばかりでした。
それなのに・・・、それがまた私の自傷癖に火をつける結果になろうとは・・・。
それは些細な出来事だったのです。私は「いつ、何の講座があり、いくら謝礼が必要だ」と把握しており、その都度銀行へ行きお金を下ろしていました。ところが“その日”に限って「○○(講座)の謝礼お願いね〜」と何人もから言われ、しかもまだ日にちに余裕のあるものまで・・・お金を下ろすのは原則当日なんだよ! 会計事務の手引き、すみからすみまで読めよ! そんなに私って信頼ないわけ? 今まで私が謝礼を下ろし忘れたことある? すっかり「私ってやっぱり役立たずな人間なんだ・・・」と、広い宇宙にただ一人放り出されたような孤独感に襲われてしまいました。
だめだ・・・こうなるともう自分でもどうしようもない・・・薬をたくさん飲んで、意識が朦朧としたところで、彼が横たわっていた4階から飛び降りようと思いました。しかし、携帯でお世話になっていた人たちにメールを打っていたら本当に意識が遠のいていく・・・「クソッ、薬を飲むタイミングが早かったか・・・?」悔しいけど、係長と同僚に見つかり、抱えられるように事務室に連れ戻されたものの、そのままではバタンと倒れてしまう状態。ソファに横になり、意識が遠のいたり戻ったりするのを半ば楽しんでいた・・・
救急車が呼ばれ、「瞳孔が散瞳している」と言われる。病院に連絡を取るが受け入れてくれる所はなく、かかりつけのクリニックに連絡を取ると「飲んだ量からして緊急な処置はいらない」と言われ(同僚がごみ箱の中から薬のパッケージを拾い出したらしい)、救急車から降ろされて、夫が迎えに来てくれて半分意識のないまま家に帰った・・・らしい。
はぁ〜、何やってるんだろ、私。
そのとき、私は「自分が倒れたからって、彼の時みたいに心配なんてしてくれる人なんかいないんだ」とすっかりひねくれていました。本当はそんなことなんかないんだ、と感じたのはずっと後のことでした。
やはり「信頼されていない」と感じることが私にとって一番耐えられないことであり、2月末の日曜日、私一人でじゅうぶんこなせる仕事にサポートを付けられた私は「そんなに私が頼りないかぁ〜!」と叫び、サポート要員を置いてカッカと怒りながら一人で仕事先へ公用車を走らせた・・・(今考えるとよく事故らなかったものだ)。
仕事は順調で楽しかったが、それが終わり、職場に戻る時間が来て、再び精神状態はどん底に陥る。
今度こそ死んでやる! 帰ってきて再び4階に駆け上がる。しかし前のこともあるので、私の様子が変なのを同僚が気付いて「もしや?」と追いかけてきて・・・(その時の様子は書くなと同僚に言われたので書きませんが)ちょっとしたやり取りがあって、私は彼女に命を救われたのでした。
しかし、そう簡単に立ち直れるものではなく、再びOD。しかし今度は怖かった・・・床が波打ち、真っ暗な廊下の壁からカラフルな三角の模様のついた黒い大蛇が出てきて私に絡みつこうとする。壁が、モコモコと膨らみながら私のほうへ迫ってくる。そんな幻覚をいくつも見ました。夜だったからそんなヘンなものが見えたのか・・・と思ったらそうではないようで、昼間の明るい時でも部屋にあるものが自分に向かって迫ってくるような恐怖感をしばらく味わうことになりました。このまま恐怖心のあまり引きこもりになったらどうしよう・・・。
それ以来、恐ろしくてODはしていません。「今後またこんなことがあったらもう責任は持てませんよ」と主治医に言われてしまったこともあり、したくても出来ないように薬は夫に半分預けることにしました。
そんな“事件”のあと、回復するまでちょっと仕事を休んだりしましたが、割と早く立ち直り、仕事に復帰。これから、この職場での“最後の仕事”としてやるべきことがあるのです。それはきちんとしていきたいし、体重はさらに2キロ減ったけど体が軽くて動きやすい。
最後の仕事とは、新しく開館する施設の備品の調達でした。契約課持ち込み分が思いのほか安くなったので、気をよくして係長と相談していろんなものを買いました。結構遠い電気屋さんに一人で公用車で行き、ちょっとしたドライブ気分を味わって、さらに買い物もして(自分の買い物だったらもっといいのになぁ・・・)、以前のようにバリバリと働く自分を実感できました。やっぱり、私って現場が合ってるのね、足で稼いで体を動かして、という仕事が性に合っているみたい。
そんな折、昔の同僚から「異動の内示は3月22日」という情報を得て、ますます舞い上がってしまった私。しかし、身辺整理まで手が回らない・・・さすが年度末、仕事量が違うのですよ。何でみんなこう予算をムキになって使い切ろうとするかね。それ支出するの全部私なの。分かる?
それでも、この1年近く感じていなかった「やりがい」を久しぶりに感じたのでした。私生活でも「あれもしたい、これもしたい」という欲求が次々と出て来ました。ちょうど子供たちは5月の「青葉まつり」に向けての特訓が始まっていました。私も一緒になって子供たちの指導にあたりながら(逆に指導されていたりして?)、篠笛まで買って、「お囃子でもOKよん♪」状態になろうとしました。
ところが、そのことをクリニックに行って話すと「それは“調子が良すぎる”状態だから、反動が怖いのよ。だからちょっとセーブしましょう」調子がいいだけではダメらしい・・・もしかしたら私はそのとき“そう状態”になっていたのかも知れません。うつ状態より厄介らしい、と聞きました。
22日は月曜日。だから、異動の該当者には自宅に電話が来るのだ・・・例年、休みの日の内示はそういう方法をとっていたので、今回も絶対にそうである、と信じて疑わなかった私。私は絶対に異動だ。約束された異動だ。必ず電話が来る・・・
午前中にカウンセリングを終え、帰ってきて、午後からは電話の前に張り付く。いつ電話がきてもすぐ出られるように。出たらなんて言おう? 「お待ちしておりました!」とでも言おうか。
ところが、他の職場では内示が出た、という情報を得て、私の気持ちは揺れる・・・たまらず人事係に電話を掛ける・・・「はい、先ほど内示が出ました」「では、課長から電話が来るのを待ってみます」どこまで人の心を弄ぶ奴なんだ、アイツは!
4時半を過ぎても5時を過ぎても、一向に電話は来ない。ついにたまりかねて再び人事係へ電話。今度は係長に代わってもらう。さすがにこういう日だ、6時を過ぎてもいるだろう・・・電話したのは6時過ぎ。「係長お願いします」「はい、お待ちください」当然のように取り次いでもらえた・・・
そこで、私は「異動は間違いないはずなのに電話がいまだに来ない」ことを話しました。実はその時、別のルートから異動の情報を得ていたので(それはどこからかは秘密)、確信していたのです。すると「所属長さんたちには『22日の午後に該当者に連絡するように』と指示をしているはず。それがなされていないのは職務怠慢ですね」と。でも、さすがは人事係長、その場で「あなたはどこどこに異動ですよ」とは言わないわけです。あくまでもそれは所属長の仕事なのです。
でも、とにかく私が異動することは間違いないことが確認でき、その日は飲みましたよ〜!
翌朝、ちょっとよそ行きの格好をして出勤するなり(その日の夜に「“栄転”お祝い会」が予定されていた)私ともう一人が呼ばれ、ハッキリとそこで「異動です」と告げられました。私はT区の市民課。思えば、自ら希望して社会教育の現場に携わり、13年。でも、この1年で「もうたくさん!」と感じた私は局外に異動希望を出していたのです。それが叶えられる形となりました。
さぁ、これからは新たな気持ちで頑張らなくては! ただ、一つ納得のいかないことは「私にあれだけの精神的苦痛を与えた奴には何のペナルティもないわけ?」しかし、どうやら“据え置き”が最大のお仕置きだったようです。これ以上左遷のしようがないようで(笑)。それは、人事係長がなんと関連機関に異動になったことからも言えるでしょう。奴はこれからネチネチといじめられるのだ・・・(いや、あの係長はそんな性格ではないけど、関連機関にいること自体が奴にとって脅威だ、なんてすばらしい人事!)
その翌日は辞令交付でした。午前中には局外へ出向の辞令、そして午後からはT区での辞令交付。「たぶんそれで一日がかりだから仕事にならないよ」と同僚は言ってくれていた・・・
ところが、降って涌いたような仕事が。「旅費、3人分追加して欲しいんだけど」なんと26日という年度末ぎりぎりに予定されたジュニアリーダーの研修会に、奴までくっついて行くと言う。課長の旅行は部長決裁。どこまで性悪男なんだ、アイツは! でも「最後の悪あがき」「負け犬の遠吠え」などと言う言葉が頭に浮かぶ・・・私は勝ったんだ。この1年間の闘いに勝ったんだ。長かった・・・
とにかく私は午前の辞令交付に行き、部長決裁は同僚がもらってきてくれました。T区の辞令交付まで少し時間があるので、その間に処理をして、会計課に持っていき、翌日に旅費を受け取れるように段取りをしました。その足で地下鉄に乗り、T区役所に向かいました。
地下鉄の中で、ふと考える・・・私はこの1年間ずっと孤独感を感じていた、でも、改めて振り返ると、私を陰で支えてくれた人はいっぱいいた・・・言葉にはしなくても、さりげなく私を助けてくれていた。私はひとりじゃなかった。薬をたくさん飲んだ時だって、みんな心配して4階まで駆け上がってきてくれたじゃないか。いつも気に掛けてくれた人たちがいたじゃないか・・・。
辞令交付が終わり、課長に素直な気持ちで「T区から辞令をいただいて参りました!」と持っていくと、ブツブツと辞令を読み上げ、そして「6年間、ご苦労様でした」と言ってくれました。
そう、信じたいですね。とにかく、勝利の女神は私に微笑んだのです。でも、新しい職場では病気のことは一切明かすまい、と決めました。世の中、どんな人間がいるか分からないのです。悲しいですが、人を疑ってかからなければならないこともあるのです。自分の身は自分で守らなければなりません。
そういったことを始めとして、私がこの1年間に得たものはものすごく多かったと思います。「人にしたことは自分に返って来る」「狭い視野しか持っていず、自分の物差しで他人を計る人間は、それだけ自らの生き方も狭めている」「弱い犬ほどよく吠える」・・・言いたい奴らには言わせておけばいい。損をするのはあなたたちなのだから。
やはり人間には信頼関係が大切だ・・・それを自ら壊す人ほど生きづらい。そして弱いものにストレスが向かう・・・「この人はなぜこんな考えしか出来なくなったんだろう?」と考えるだけで、腹が立たなくなります。自分なりの”怒りの交わし方”も身に付けました。もう怖いものは何もない!
新たなる気持ちで、新しい年度をスタートさせたいと思います。
長い人生、まだまだ何があるか分かりませんが、これにてひとまず完結。めでたしめでたし。4ページにも及んだ「うつ病体験〜復帰後の地獄の闘い物語」でしたが、最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。私の体験が少しでもみなさんのお役に立てることを祈ります。
2004/3/29
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上司の権限(パワー)による嫌がらせを |
![]() 高橋 佳子 著 『新しい力― 「私が変わります」宣言』 (三宝出版 , 2001年6月)
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